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diary

身近な水の歴史

こんにちは、Goodの早川です。

9月30日は、1961年に愛知用水が完成した日になります。
今では、蛇口をひねれば当たり前のように出てくるきれいな水ですが、
特に知多半島は大きな川がないため、水の確保が大変でため池に頼っていました。
(今でも知多半島にたくさんのため池が残っているのはこれが理由です。)

そんな知多半島に木曽川から水を引こうと考えたのは国ではなく、2人の農家さんと学校の先生でした。
1947年の干ばつの被害を受けて、用水路建設運動が2人を中心に起こり、
当時の総理大臣だった吉田茂に陳情をして、国の政策として用水路が建設され、
1961年に南知多町まで水が通ることになりました。
その後、この豊富な水を用いて、知多半島は元々の温暖な気候を利用して農業を中心に発展してきました。

先日の台風の影響で静岡県で水道が使えない状況になっています。
蛇口をひねればきれいな水が出てくるという当たり前のことは
このような過去の人たちの行動によって成り立っています。
地元の歴史を知ることで歴史に興味を持ってくれればよいと思います。

ちなみにこの愛知用水を建設した中心人物に先生の遠い親戚がいるらしいです。

早川博規先生

この記事を書いた人

早川博規先生

地元の知多市に生まれ、知多市で育つ。その後も地元横須賀高校に進学、大学進学で一度地元を離れたが、大学卒業後再び知多に戻ってきて現在に至る。得意教科は「社会」、特に歴史で「社会を単純な暗記科目と思うな」がモットーです。
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